ほんの数千年前まで噴火活動を行っていた妙高山の麓には、妙高七湯とも称される温泉リゾート地が点在しています。ここでは、これらの名湯を簡単に紹介していきたいと存じます。
沿革:
言い伝えでは親鸞聖人が発見し、川中島の合戦では手傷を負った上杉方の兵が傷をいやしたとされます。
史料によれば文化年間の発見。文化十二年(1815年)、高田城主榊原政令の命で今の場所に湯が引かれ、補助金の交付によって温泉宿が栄えるようになりました。
明治維新後特筆すべきこととしてはまず、明治四十年(1907年)に岡倉天心が別荘を建てたことが挙げられます。大正三年(1914年)、東京の弁護士小出五郎が「妙高倶楽部」を立ち上げ、赤倉の紹介に尽力。大正十四年(1925年)に久邇宮家の別邸が建設され、赤倉温泉は全国区になりました。
泉質:
硫酸塩・炭酸水素塩温泉。温度56度C。
効能:
神経痛、火傷、皮フ炎など。
沿革:
赤倉温泉組合によって計画されたもので、赤倉温泉の源泉から分湯し温泉を開発するともに、富裕層向けに温泉付き別荘地の販売が進められました。昭和十二年(1937年)には赤倉観光ホテルが建設されています。
泉質:
硫酸塩・炭酸水素塩温泉。温度56度C。
効能:
外傷や痔、火傷、神経痛など。
沿革:
明治十五年(1882年)頃から開設が計画されました。前島密の出資もあり、明治四十三年(1910年)に赤倉分湯株式会社が設立され、大正元年(1912年)完成、赤倉より分湯して開湯。当初は赤倉分湯温泉と呼称しました。後に源泉を南地獄谷に変更、妙高温泉と改称して今に至ります。
泉質:
単純硫黄温泉。温度72度C。
効能:
リウマチ、慢性皮フ病、神経痛、婦人病など。
沿革:
赤倉分湯株式会社より発展した妙高温泉土地株式会社が、大正十二年(1923年)に別荘地を開発したのがはじまりです。同年開湯。大正十四年(1925年)に北白川宮家が避暑地に選んだことから、その名を知られるようになります。
泉質:
単純硫黄温泉。温度72度C。
効能:
慢性皮フ病、神経痛、婦人病など。
沿革:
井戸を掘っていたところ温泉が湧き、平成九年(1997年)に温泉施設が開設されました。妙高市杉野沢区が運営しています。
泉質:
塩化物・炭酸水素塩温泉
効能:
神経痛、消化器病、皮フ病など。
沿革:
弘法大師が発見したとも伝えられています。史料によれば享保十三年(1728年)、豊田五太夫という人物が発見。当時妙高・火打山を治めていた寺社の宝蔵院が温泉を整備、五太夫に温泉場の監督を命じたとあります。
水害の危険があることから明治十二年(1879年)に移転しましたが、移転先の湯の温度が低かったことから再び移転。温泉一帯が陸軍の演習場に指定された後、明治三十七年(1904年)に三回目の移転で現在の場所に移り、今に至ります。
泉質
弱アルカリ性の含鉄食塩泉。温度47度C。
効能
神経痛、皮フ病、痔、火傷、婦人病など。
沿革:
弘法大師が発見したとも伝えられています。明治四年(1871年)、岡本勝右衛門という人物が浴槽を整備したのがはじまりです。明治八年(1875年)に温泉場が開設。この温泉も水害の危険があることから、明治二十八年(1895年)、現在の場所に移転しました。
最近は露天風呂「黄金の湯」と「河原の湯」が知られるようになっています。
泉質
硫化水素泉。温度45度C。
効能
婦人病、皮フ病、痔など。
もっと詳しく知りたい方は、妙高市観光協会の Webサイトを御覧になって下さい。
参考資料
「中頸城郡史第四巻」(新潟県中頸城郡教育会著)、「妙高高原町史」(妙高高原町史編集委員会編)、「妙高村史」(妙高村史編さん委員会編)